みんな生きてるね
当たり前である。
でもネットで交流してるとそんな当たり前のことを知らないうちに意識しなくなってるんだなあと思ったんですよ。
そう思ったきっかけは2つあって、
1つはとあるネ友が日常で考えたことを書いているブログを見せてもらったこと。
これを書いてるのもきっかけはそれだったりする。
まあそんな話はどうでも良くて、
まだ全部読んだわけじゃないけど、少し読んだ感想が「生きてる」だった。
普段Twitterで、discordで、楽しく話してる姿しか見たことがない(実際は"見て"すらいない)、顔もごく稀にどっかに貼られてすぐ消されるものをチラッと見たことしかない、そんな人が
確実に同じ世界を生きてて、リアルの職場や人間関係の中で生きてて、仕事をしたり美味しい物食べたり街をぶらぶらしたり悩んだりしながら、私や私の周りの人と同じように「生きてる」んだなって。
本当に当たり前なんだけど、それが妙に心強いような、反面、どこか焦りを感じるような、不思議な気持ちになった。
変だね。
多分わたしが現実から逃げてるから、現実で生きるネ友を見ると焦っちゃうんだろうね。めんどくさいね。
もう1つのきっかけは最近ネ友界隈でしか話してないリア友のオンライン学園祭をちらっと見たこと。
別にそこにその人が写っていたわけではない。彼女は舞台監督をやっていたから。
だけどそこに写ってた舞台は輝いてて、出演してる人たちも輝いてて、華やかで、
具体的に舞台監督というものがどんな仕事をしてるのかはわからないけど、この中の何かにあの子が携わってて、他の人と協力して仕事をして、頑張っていて、それでこんな華やかなものができているんだと思うと、涙が出てきた。
舞台への憧れと何もしていない自分への自己嫌悪も湧いてきてメンタルが取り返しつかなくなったので彼女には申し訳ないがすぐに見るのをやめた。
ずっと会ってないし、本名すら呼ばなくなったけど、ちゃんと現実世界を生きてるんだね。頑張って、えらいね。すごいよ。お疲れ様。
今回に限らずわたしは、親の昔の話とか、高校の友達が働いてるところとか、そういうのを見聞きすると感極まったり変な気持ちになりやすい。
それは多分、わたしはわたしだけが特別な、ハードモードのしんどい人生を生きていて、だから色んなステータスが低くてもしょうがないよねって思いたい気持ちがどこかにあるからなんだと思う。
だから、みんなが、わたしの知らないところで、わたしと同じ世界を、日常を、生きてるんだって思うと、急に焦り出すんだろうな。
我ながら最低な考えだけど、自覚しただけスタートライン立ててる。大丈夫。抜け出してこうね。常人に、人間になろうね。
それがきっかけでなにか掴めるといいね。
いつかわたしも現実から逃げないで
みんなと一緒に戦える日が来ますように。
おわり。