悲劇のヒロイン症候群はメンタルケアの夢を見るか?
被害者なのか、加害者なのか、わからない。
わからないのである。
ただ、それしか言えない。
わたしは人間だから、どうしても自分を可愛がってしまう。だから被害者だと思い込みたくなるし、被害者に向けられるような言葉だけを選んで心に刻み付けてしまう。
悲劇のヒロイン症候群の気質もあるのはわかる。
自分が辛い状況にあることに酔ってしまう節がある。
だから自分は可哀想だ、みんなも可哀想って言ってる、ああ可哀想な私、そんなループに入って抜け出せなくなる。そんな自己中なヒロインからみんな離れていく。
それがわかっているから、わたしは自分を責める。
どうせいくら自分を責めても心のどこかで自分を守ってしまうのだから、客観的な意識を保つにはそうするしかないとわたしは思うのだ。
話は変わるが、火曜日から医療機関実習が始まる。
医療事務員は、というか社会人は、どんなに辛いことがあってもそれを表に出してはいけない。
わたしは感情を抑えるのが幼少期から苦手で、きっと先天的なそういうやつなんだろうと思う。治らないやつ。治療薬が、今のところ、無いやつ。
だから、負の感情をなくすほうに意識を向ける必要がある。
だけど自分の機嫌が取れない。
自分をいたわったら、自分が被害者だって、可哀想だって、認めることになる。
バイアスに好き放題させてしまう。
もしわたしが加害者なら、傷ついたり悲しんだりする権利なんて持っていないはずだ。
その可能性が残っている限り、わたしは自分を甘やかせない。わたしが自分を甘やかせない限り、心は沈んだまま。
罪悪感とは恐ろしい感情だと思う。
罪が本当にそこにあるかどうかはまた別の話。
それはそれ、って切り替えられるわたしに
朝起きて、着替えて、化粧をしたら、なれるかな。
わからない。
悲劇のヒロインだろうが悪役だろうが
わたしの人生の主人公はわたしなので
どうかその物語を自らの手で終わらせないように
ハッピーエンドに向けて最善の選択ができるように
は?これ作詞メモに書こうよ自分
まあいいや
自責の念とほんの少しの自己憐憫を抱いて
おやすみなさい。
明日もわたしがわたしであれますように。