正しさとは、愚かさとは、
居眠りって直らなくないですか???
書き出しがこれなの結構やばいと思うけど。
授業中とか、いくら寝ないように頑張っても瞬きしただけで体が倒れていくし、頑張ってラインマーカーとか引いても幼稚園児の落書きみたいなのが量産されて終わったり、するよね?
もうね、居眠りってネーミングが良くないと思うの。そんな落ち着いた眠りじゃない。確かに睡魔と戦う意思を見せずに堂々と眠る人もいるけど私は違う。こっちの意思をガン無視して襲ってくる眠り。「不随意睡眠」とかにしようよ。そっちのほうがしっくりくるんだが。そうやって自分の意思で寝る人と区別しようよ。とかそんな話はどうでもよくて。
まあ授業程度ならテスト前に詰むぐらいで終わるんですが、それをあろうことか実習先でやってしまったのがこのわたしです。はい。
いや逆に先生のクソデカボイスが流れる90分間の授業ですら起きていられないのに、聞くべき話もなく、ラインマーカーを引く作業すらなく、優しいオルゴールのBGMが流れる空間で黙って座って3時間以上起きていられると思う方がおかしいですけどね。
まあ、それはさすがに実習先に失礼だし学校の評価も下がるしで多方面に迷惑だ、お前一人の問題じゃないんだぞ、と怒られが発生し、寝起き30分で怒涛の反省文を書き上げたのが今朝。我ながらよくやったよ。
で、それを事故界隈中心のTwitterアカウントに書き込んだところ、「酷だ」「配慮の欠如を感じる」「学校の保身のことだけを考えている」など、学校や先生への非難が集まって、「ええ〜〜???」ってなった。正直に言うと、生まれて初めてこの界隈のことを「気持ち悪い」と思ってしまった。
まあこちらにも寝たくて寝てたわけじゃないという弁護の余地(?)はありつつも、居眠りはどう考えても「悪」で、学校の実習生として行っている以上学校の評判や責任がついてまわるのも当たり前で、先生の口調も度が過ぎた暴言などではなかったし、これはもう全面的100%わたしが悪い案件じゃない?と思ったからだ。
だからTwitterに上げたのも悪くないよって言われたかったわけじゃなくて、ただただ怒られ慣れてないから怒られたという恐怖の事実を一人で抱え込むことに限界を感じたのと、寝起き30分でこれ書けるの強くね?っていう自慢(?)のためだった。
話を戻そう。
で、うどん食べて冷静になってから考えたら、わたしは"現実"の方でちゃーんと怒られてるわけで、そこで受けた痛みを中和するために、バランスを取るために、"ネット"の人達は極端にわたしを擁護してくれるんだろうな、と思ったのだ。
きっとここはそういう場所で、そのための場所なんだと、改めて知った。
だから、わたしがこれからこの場所で苦しむ誰かを見たとき、例えそれがいくら自業自得でも、
中途半端に"現実"を持ち込まないように。
その人が"現実"と向き合えるように。
自分もその人にとって、それこそ気持ち悪いくらい、"ネット"の人でありたい。
うまく言葉にできないけど、そう思った。
気持ち悪いなんて言葉を使ったけど、わたしは自分を肯定してくれる言葉にとても救われているし、そのおかげで現実から逃げずに今週を終えることができたのだ。
傍から見たらおかしいかもしれないし、間違っているかもしれないし、ただの現実逃避だと言われるかもしれない。
だけど、現実と向き合うためには、現実離れした肯定がきっと必要なのだ。
リア凸が横行し、ネットと現実の区別をつけることがタブーのような風潮だが、わたしは敢えてネットと現実の区別の大切さについて語りたい。
厳しく、鋭く、暴力的なくらい正しい"現実"と、刹那的ではあるが自分を肯定してくれて、現実と戦う勇気をくれる"ネット"。
この2つの世界を意識して、区別して捉えることで、初めて正しく生きていられるのだと感じた。
そんな1日だった。
これはマジで賛否出ると思う。ごめん。
わたしの周りにいる皆さん、今日もわたしを生かしてくれて、本当にありがとう。
おわり。
キラキラ事務員に俺はなる
実習、とりあえず1週目が終わりました。
本当に忙しい病院で、虚無の見学と雑用の繰り返しだったけど、一緒に行ってる子のおかげで幾分か苦痛が緩和されている気がする。マジ感謝。
今日は電子カルテ触らせてもらえるって話だったのにひたすらファイル消毒して紙挟んで終わった、何?
先生が実習先を巡回してて、今日私たちの病院に来たんだけど、先生曰く「他の子は目がキラキラしてて"楽しいです!"って感じなのに、あなたたちだけ目が死んでて大丈夫かと思った」。
でしょうね。
まあそんな実習と言っていいのかわからないような実習でしたが、やはり現場に居るだけでも学びはあるもの。
患者さんへの接遇のしかたとか、各自が無駄なく動いてチームワーク発揮してるところとか、細かく挙げれば色々あるんだけど、敢えて偏差値下げて一言言わせて欲しい。
バリバリ働く医療事務員、まじかっけえ。
輝いてる。
ほんとにみんな輝いてる。
特に禿げてないオッサンですら輝いてる。
特に私たちの一つ上のOGの方、不慣れなはずなのに誰よりも活き活きした接遇してて患者様も笑顔になってる。やっべ。憧れ見つけちゃった。
我々実習生に対してもめちゃくちゃ優しいし気遣って仕事持ってきてくれるし患者様に向けてる素敵な笑顔をもれなく向けてくれる。天使なの?
この表現が適切かは全く分からないけど、アイドルみたいだなって、思ってしまった。
わたしは現実を見るとか言っておきながら表舞台への憧れを拗らせているドクズなんですけど(記事「夢の形に泣いちゃった」参照。全然関係ないけどこの記事1位になってる、わたしも自分で気に入ってるよ、解釈一致だね)、ステージに立ってスポットライトを浴びることだけが"輝く"ことではないのだなというか。
わたしが今からでも目指せる輝き、今からでも纏える、諦めなくてもいい輝きを、見つけてしまったというか。
かなり気持ち悪いこと言ってる自覚はある。
そういうわけで今の進路というか、医療ビジネス系を目指すモチベがかなり上がりましたよというお話。
医療事務になるか調剤事務になるか介護事務になるか医師事務作業補助者になるか、ワンチャン医療関係ない事務になるか、今のところは全然わからない。
だけどもし患者様・お客様と接する職に就いたら、あんな輝きを放てるようになりたい。そうなれたら、一度は闇に葬り去った「輝きたい」というわたしの夢が、少し形を変えて叶うことになるのだ。
わたしからあんな光のオーラを出せるとは思えないけど、まあ頑張ってみないとわからないよね。
キラキラ事務員に俺はなる。
おわり。
(余談だがこの記事に書いたことはsktr氏に通話で話したことであり、「キラキラ事務員に俺はなる」というタイトルは彼女の脊髄から出た言葉である。)
(もっと言うとはてなブログにおける文字色や太字などの編集のしかたを今日やっと知ったので急に色々使ってるけどあんまり気にしないで欲しい。今まで読みづらかったね。ごめん。)
Alice in 医事課
実習2日目。
実はこの「Alice in 医事課」ってタイトルは昨日急に浮かんだもので、実習中に一度はこのタイトルで何か書こうと思っていたのだが、今日がしっくり来すぎた。だから今日にした。
そのくらい医事課が忙しい日だった。混沌、カオス、ある意味ワンダーランド。そんな感じ。
まあ我々実習生はできることがないので、その様子を座って見ていただけなのだが。
というのも、今日は新型コロナウイルスのワクチン接種の日だったのだ。
事前訪問の時から「ワクチン接種と被るから、忙しくてあまり相手ができないかもしれない」とは聞かされていたし、昨日も「明日の午後はワクチン接種でとても忙しくなる」と聞いていた。
うん。その通り。めちゃくちゃだった。
めっちゃ人来るし、当たり前だけど全員年寄り。
地獄がそこにあった。一部抜粋して覚えてきたので共有したい。多分守秘義務とかは大丈夫なラインなはず。問題があれば消します。以下は事務員さんの台詞。
・「本日何時にご予約されてました?何時に予約しました?時間!予約!何時ですか????」
まじで10回ぐらい聞いてた、恐るべしお年寄りイヤー。最終的に予約じゃなかった。うける。
・「(多分問診票みたいなやつ?)あの、病気とかのところ、全部○になってるんですけど、よく見たら違うので、次回からお気をつけください…」
吹きそうになった。患者さんも「俺は全部病気だ!!」って張り合ってた。やめてくれ本当にわろてまう。
・極めつけはコスプレみたいな紫髪のおばあちゃんが来たこと。チェシャ猫枠やめ。
まじで事務の人達が入れ代わり立ち代わり受付してパソコンでなんか打って〜ってやっててめちゃくちゃ大変そうだった、もうみんなテキパキしてて私将来この仕事できるかなって思った時 無理だなってなったよね。うん。
コロナ禍でお医者さんは大変だろうし看護師さんも大変だと思うんだけど医療事務員もヤバかったです。敬意払っていこう。
なんか書き終わってみると思ったよりうまくタイトル回収できなかったなって感じるけど、
今日のわたしはスキャナーに話しかけたり穴あけパンチに話しかけたりだいぶ不思議なことをしてたのでやっぱり今日のタイトルはこれでよかったんだと思います。
果たしてこの実習で医事課らしい業務を体験できる日は来るのだろうか…。
おわり。
挨拶ができない専門学生
「分数ができない大学生」みたいなタイトルになっちゃった。でも正直分数ができないよりも挨拶ができない方が人間レベルは低いような気がする。
まあ、わたしのことなんですけどね!!!!!!!
びっくりした?わたしもびっくりした。
挨拶なんて当たり前だし、普段からしてるし、挨拶のときのお辞儀が綺麗だって褒められたことすらあるし、だから自分は挨拶ができる人間だと思い込んでいた。実習目標にも「挨拶や返事など当たり前のことをきちんとする」って書いた。挨拶なんて当たり前にできていると信じて疑わなかった。
今までは〜🎶(connecting並感)
そう、実習に行って一番最初に気づいたことは、わたしが、挨拶ができないということだった。
考えてみればわたしのなかでの挨拶って「先生や先輩後輩・友達に会ったらするもの」だった。
だから無意識に人が近づいてきたら挨拶をする対象かどうかを判断する癖がついていて、対象に引っ掛からなかった人は華麗にスルーしてしまう。
ところが今回の実習で一緒になった女の子は、全ての人に挨拶をするのだ。
患者様にも、看護師さんにも、事務員さんにも、お医者さんに会うことはなかったけど、きっとお医者さんにも。
もちろんあからさまに急いでいる人や取り込み中の人はスルーするが、基本的に全ての人に声をかける。
これが常識なのだろう、当たり前なのだろう。
だがわたしにはそれが全然できなかった。
いくら意識しても挨拶がワンテンポ遅れてしまう。脳が、この人には挨拶しなくていいよ〜って指令を出してしまう。
由々しき事態だ。
ちなみに、このことは実習前の事前訪問の時点で気になっていた。
だから事前訪問が終わって病院を出たあと、彼女に「挨拶めちゃくちゃ身についててすごいね、わたしは全然できなかった、見習いたい」と声をかけた。
すると「高校までバレー部に入っていたから、多分そのせいだよ」という返事が返ってきた。
やはり体育会系の洗礼を受けている人は社会に出ると強いのだなと思い知らされた。
負けていられない。着替えるだけで息が切れるナメクジみたいな身体だけれど、体育会系に間違われるぐらい挨拶を強化しよう。元文化部、もとい社畜部を舐めるんじゃねえぞ。
と思って実習に臨んだのに、全然ダメだった。
悔しい。
明日こそ。
おわり。
どうにかなるし、どうにかする
「どうにかなる」とか「やってみなきゃわからない」とか、そういう無責任な言葉は基本的に嫌いだ。
だけど、自分にそう言い聞かせないといけない時もある。
例えば今。
明日、厳密には今日から、病院での実習が始まる。
わたしはアルバイトすらしたことがないため、働くということが本当に怖くて、ただ、怖い。
指示されたこともできるかわからない。世間にとっての当たり前を、きっとこなせない。
それでも陽は昇るし時間は進む。
怖くても。
絶対にできないってわかってても。
やるしかない。
やって失敗して叱られるしか道がないから。
「どうにかなる」って思うしかないんですよね。
ていうか、「どうにかし」なきゃいけない。
執行を待つ死刑囚みたいな気持ちで
震えも動悸も止まりませんが
どうにかなります。
どうにかします。
みんなにお疲れ様って言ってもらったときに
胸を張ってありがとうって言えるように
自分に勝ちたいと思います。
応援ください。
おわり。
実績「実習前夜に今一番気まずい人とインポスターを引いて勝利」解除
なにこれ!!!!!!!!!!
また下痢するかと思ったって、本当に、抗不安薬飲んどいてよかったね〜〜!!!!寝る前にまた飲んだけど!!!!ODだ!!!!!!
一連のことで色々間違った。
不穏にした。迷惑をかけた。苦しめた。
でも最後にみんなで笑ってゲームができたのならそれはひとつの結果だ。
これから界隈がどうなるのか、わたしが名前を置いておいてもらえるのか、どんなふうに振舞っていいのかも、何も分からない。
だけど今日が楽しかったことだけ伝えさせて欲しい。
わたしのことをどう思っているかわからないけれど
空気を悪くしないこと、みんなを楽しませることに協力してくれてありがとう。
どうにもならないことを
どうにかしてくれてありがとう。
外面だけだったとしても、嬉しかったです。
今日のゲームを、自分含めて、落ち着いて、楽しい雰囲気で終えられたこと
界隈の外の人にも不安を抱かせなかったこと
それが嬉しくて書きながら泣いてしまいました。
気を遣ってくれた皆さんに感謝。
おわり。
夢の形に泣いちゃった
という「限りなく灰色へ」の歌詞が好きだ。
セカイverだとえななんの歌い方もよい。エモい。
実際、夢の形に泣かされることは多い。
特にこの活動者界隈にいると、表舞台に出ている人、もしくは出ようとしている人をよく目にする。
それは夢を追いかける若者にとっては刺激になるのだろうが、夢を見られる境遇にないわたしにとっては、「夢の形に泣いちゃった」案件でしかなかったりする。
わたしがこれまでの人生で褒められたのは、小中の学祭でやってた演劇とか、たまに代表に選ばれた作文発表会とか、ステージの上で声を出すことだけだったような気がする。例外は学力だろうか。自称進学校のレベルの中ではそこそこ上の方にいた。なんの意味もないけれど。
だからわたしは声を出すこと以外に自信が無い。
声以外を誰かに認められるなんて思っていない。
だから表舞台で声を出せない人生なんて価値がない。そう思っても、そんな世界には行けない。ここには現実がある。一握りの人しか掴めない夢を追いかける余裕はない。狭き門に飛び込む勇気はない。
むしろ、皆が「つまらない」とか「平凡だ」とか言う、普通に就職して普通に働くみたいな、そんな人生すらわたしにとっては"夢"なのだ。
生活力も経済力も、常識すらもない、母曰く「お勉強だけできて何の意味もない子供」にとっては。
現実の世界でつまらない夢を見ながらでも
自分の輝ける舞台に立ち続けたくて
わたしはTwitterに来たけど、
リアルでの音楽活動を勧められたり
それを仄めかす仲間を見ていると
もしかしたらわたしは場違いなところに来ちゃったのかもなあと思うことがある。
夢の形に泣いちゃった。
おわり。